【歴】ヒストリー

【家康潜伏の寺】豊臣の城下町に隠された「徳川家康」の命を救った密命と知善院の謎

滋賀県長浜市といえば、誰もが豊臣秀吉公の「出世の街」を思い浮かべるでしょう。しかし、歴史の表舞台の裏側で、後の天下人・徳川家康公がひっそりと身を隠し、命を繋いだ場所が長浜の街中に存在します。それが、北国街道から少し入った場所にある「知善院」です。豊臣の息吹が残るこの街で、なぜ宿敵とも言える家康公が救われたのか。そこには、戦国時代ならではの複雑な人間模様と、長浜という街の懐の深さが隠されていました。

2. 「神君伊賀越え」の後のもう一つの危機

1582年(天正10年)、本能寺の変。織田信長公が倒れた際、家康公が決死の脱出劇「伊賀越え」を行ったのは有名です。しかし、その後、混乱を極める近江(滋賀県)を通り抜ける際にも、家康公は命を狙われる危険の中にありました。 この時、家康公を密かに匿い、保護したのが長浜の知善院でした。当時の住職は、家康公が窮地にあることを察し、寺の奥深くに隠して追手から守り抜いたと伝えられています。

3. 家康公の恩返し:知善院に残る「徳川の証」

家康公は天下を取った後も、長浜で見せた知善院の恩義を忘れませんでした。江戸時代を通じて、知善院は徳川将軍家から特別な保護を受けることになります。

  • 御朱印状の授与:幕府から寺領を安堵する重要な書類が贈られました。
  • 家康公の坐像:境内には家康公を祀る権現堂があり、今も家康公の像が安置されています。
  • 十一面観音と家康:知善院の本尊である十一面観音は、かつて長浜城内にあったもの。秀吉の城の仏様と、家康の命を救った寺が共存しているのが長浜の面白さです。

4. 知善院のもう一つの顔:秀吉の遺産

知善院は単なる徳川ゆかりの寺ではありません。実は、秀吉公が長浜城を築いた際、城の鬼門を守る祈願所として整備された寺でもあります。 現在も、知善院の山門は**「長浜城の搦手門(からめてもん)」**を移築したものと伝えられており、重厚な造りからは戦国時代の城郭建築の息吹をダイレクトに感じることができます。秀吉が作った門をくぐり、家康が救われた地を訪ねる。これこそが長浜ヒストリーの真骨頂です。

5. まとめ:天下人が交差する「平和の交差点」

秀吉公が愛し、家康公が救われた知善院。 「ALL長浜」編集長・ながはまマンとして皆さんに伝えたいのは、長浜という街は、戦いの中にあってもどこか人を守り、受け入れる優しさを持っていたということです。 北国街道の喧騒から少し離れた知善院の静かな境内を歩きながら、二人の天下人が同じ空気を吸った歴史の奇跡に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

  • この記事を書いた人

ながはマン

長浜生まれ、長浜育ち。 「歴史があるから、今の賑わいがある」をモットーに、街の隅々に眠る物語を掘り起こすのが生きがいです。 明治の鉄路跡から最新のコスパ飯まで、自分の足で稼いだ「長浜のすべて」を全力で発信中!

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