戦国大名が去れば、その街は廃れる——。そんな当時の常識を覆したのが、長浜の町衆たちでした。 秀吉公が長浜城を去り、江戸時代に入って長浜城が廃城になっても、長浜の街は北国街道随一の活気を保ち続けました。その原動力となったのが、町民の中から選ばれた10人のリーダー、通称「長浜十人衆」です。今回は、自分たちの街を自分たちで運営した、長浜の「商人自治」の驚くべき歴史を紐解きます。
2. 「お上」に頼らない、長浜流の街づくり
秀吉公が長浜に与えた「地子銭免税」という特権。通常、こうした特権は支配者が変われば消えてしまうものですが、長浜十人衆はこれを守り抜くために、時の権力者(徳川幕府など)に対しても、粘り強く交渉を続けました。
- 自分たちでルールを決める:火災の防止、街の清掃、治安の維持。これら全てを十人衆が中心となり、町民の力だけで運営しました。
- 教育と文化への投資:稼いだ富を自分たちだけで独占せず、寺子屋の運営や曳山まつりの豪華な装飾など、「街全体の価値」を高めるために投資しました。
3. 現代の「取締役会」?十人衆の賢い仕組み
長浜十人衆は、単に金持ちが集まっただけではありません。そこには、現代のコーポレートガバナンスにも通じる合理的な仕組みがありました。
- 合議制の徹底:一人の独裁を許さず、必ず10人で話し合って物事を決めました。
- 責任と義務:十人衆に選ばれることは最大の名誉でしたが、同時に「私財を投じてでも街を救う」という重い責任も伴いました。
4. 今も残る「十人衆」の足跡
長浜の街を歩くと、かつて十人衆を務めた家々の広大な敷地や、重厚な蔵を見かけることがあります。前回紹介した「安藤家」も、その中心的な役割を担っていました。 彼らが大切にした「三方よし(売り手よし、買い手よし、世間よし)」の精神は、近江商人のルーツとして、今も長浜の企業の経営理念に色濃く受け継がれています。
5. まとめ:長浜は「みんなの街」
「ALL長浜」編集長・ながはまマンとして皆さんに伝えたいのは、長浜の美しさは、誰か一人の英雄が作ったものではなく、名もなき町民たちが「自分たちの街だ」という誇りを持って守り続けてきた結果だということです。 曳山まつりで豪華な山車が街を練り歩くとき、その上には今も、十人衆から受け継がれた「長浜のプライド」が乗っています。 次に街を歩くときは、歴史の主役だった「商人たち」の心意気を感じてみてください。